プロフィール
歌の伝道師 鈴木道子
歌創作提供
音響振動療法
(ヒーリングウェーブ)
ボイスヒーリング

経歴:
国立音楽大学音楽学部声楽科卒業
愛媛大学教育学部音楽専攻科修了
夫の転勤に伴いフランス・スリランカ在住中コンサートを開く
帰国後コンサート活動
少年院音楽講師
合唱指導
ボイストレーニング指導
8年間自宅にて音楽教室経営
オリジナル曲CD「やすらぎ」リリース
編曲をウルトラマンで有名な作曲家:冬木透(蒔田尚昊)氏に依頼
オリジナル曲CD「GRACE」リリース
その中の一曲「出会い」が編曲家:木村純氏の目に留まり、合唱曲になる
愛媛県生まれ
もの心ついた時から、母が「いつも歌ってるね~。」と言うほどにお風呂でもトイレでもアドリブで歌を大声で歌っていました。
小学校の時スカウトされて合唱部に入り、外部から教えに来ていた先生に「あなたは将来声楽科に行きなさい」と言われます。
その意味はよくわからないけれど、記憶にだけはずっと残っていました。
中学生の時は、バレーボールに明け暮れ真っ黒に日焼けしていましが、夏休みに曲を作るという課題がありその曲が選ばれて張り出されたり、クラス対抗学級歌コンクールで、自分のクラスの作詞作曲・伴奏を担当して優勝したりと音楽はいつも身近にありました。
高校入学時の自己紹介で言うことが見つからず、とりあえず「将来は音楽の先生になろうと思います。」と言いました。
それが担任から私の恩師となる音楽の先生に伝わり、気が付いたら国立音楽大学の声楽科を目指すことになっていました。
途中先生が「作曲科でも行けるよ」とおっしゃたのを覚えています。
無事声楽科に合格するも今までの学校の勉強とは全く違い、何をどう勉強していいかわからず路頭に迷います。
また親離れが出来ておらず、いつもとにかく淋しくて人間関係もうまく築けない感じで、今思うと鬱病だったのではないかと思います。
生きることで精いっぱいだった感じでしたが、先生には遊んでて練習しないみたいに誤解され辛い思いもしました。
そんな私も卒業する頃になりやっと歌に目覚め、親にわがままをいって大学院浪人をさせてもらうことに・・・。
親に負担をかけたくないとの思いから、共同風呂・共同トイレの安アパートに引っ越して友達に笑われたり、選挙のうぐいす嬢・昆布茶の試飲販売・作業服を着てのテレビリモコンのシールチェックなどいろいろなバイトをしました。
そしてあんなに歌ったことはないと思うほど、吐きそうになるほど歌の練習をしました。
しかしながら桜散る。
先生の仲間からは「うまいけどオペラを歌う声じゃないわね~」との評だったとか。
人生で初めての挫折を味わいます。
親のことを思って愛媛に帰ることにしましたが、歌を歌うことに終止符を打てない私は、地元愛媛大学の音楽専攻科を受験し入ることができました。
その専攻科の先生に「発声が違うよ」と言われ、私はハンマーで頭を殴られたようなショックを受けます。
大学の頃「声がない」と言われ続けていましたが、なんのことはない発声が違っていたのです。今思えば、門下生皆がか細い声でした。
すっかり自信喪失してしまった私は、歌を歌うことができなくなりました。
「知らない」というのは強いものです。今まで平気で堂々と歌っていましたが、知ってしまうと元には戻れません。
余談ですが・・・私は数秘術7で、7の人は諦めのいいところがあるそうです。
そのせいかどうか、私は「スッパリと歌をやめて、結婚しよう!」と思い、お見合いをして結婚しました。
結婚と同時にフランスに渡ります。結婚生活はとても苦しいものでよく泣いていましたが、パリは私の好奇心を満たしてくれて、オペラやバレエ鑑賞・音楽会・美術館・カフェ・散策などと満喫しました。
残念ながら帰国と同時に別居そして離婚となり、友達に誘われて教会に行きクリスチャンになります。
教会と音楽は切っても切り離せないもの。父親同士が高校の同級生という不思議な縁で、発声方法を一から教えてくださる方に出会い再び歌い始めました。
礼拝の中やコンサートで歌う機会を与えられ「うまく歌えない・・・」と苦しみながらも少しづつ階段を上っていく、という感じでした。
いろいろ苦労をしたことが歌声に反映されるのか、コンサートをするとたくさんの方が涙を流されました。
「もっと泣けたけれど、必死で理性で押さえました」とおっしゃる方もいました。
女性版美輪明宏との異名もいただきました(^^)。
そんな中、小さい頃のように歌が湧いて出てくるようになり、オリジナル曲のCD2枚をリリースします。
再婚後一人息子をさずかり、子育てでも歌を活用しました。
幼稚園の卒園式イベントで曲を作ってお母さん達と歌ったり、

小学校で春の七草を覚えるという宿題が出て、それを歌にして覚えさせたり(私も息子も今でも春の七草を覚えています!)、
中学校では英語の熟語を歌にして覚えさせたりしました。
また自宅では8年間音楽教室を開き、
ピアノ教室乱立と少子化の中、独学ではあるものの経営術を勉強した成果が出て生徒さんがたくさん来てくれました。
現在は音楽教室を閉じて、
歌創作提供・音響振動療法(ヒーリングウェーブ)・ボイスヒーリングをライトワークとしています。